2025年8月31日、横山裕さんが「24時間テレビ」のチャリティーマラソンで105キロを完走しました。
猛暑の中での挑戦は、彼の強靭な精神力と不屈の意志を象徴するものであり、多くの視聴者に感動を与えました。この壮絶な挑戦は、彼の生い立ちと深く結びついています。3歳で両親が離婚し、10代で一家の大黒柱として家族を支えるために必死に働きながらジャニーズ事務所に入所。
数々の困難を乗り越え、現在ではSUPER EIGHTとして活躍する横山裕さんの半生を徹底解説します。
是非最後までご覧ください。
横山裕の生い立ち
幼少期〜小学校(両親の離婚、ふたりの兄となる)
3歳で両親が離婚し、母親に引き取られる
横山裕さんは1981年、大阪府で生まれました。
3歳の時に両親が離婚し、母親に引き取られました。父親の記憶はほとんどなく、以後は母子家庭で育ちました。
母親は一人で横山を育て上げるため、昼夜を問わず働き詰めの毎日を送っていました。横山さんはそんな母親を支えるため、家事や弟たちの世話を積極的に行い、家族の中心的存在として成長していきました。
5歳で母親が再婚、父親の違う弟ふたりの兄となる
5歳のとき、母親が再婚し、父親の違う二人の弟の兄となりました。
横山さんは、義父との関係がうまくいかず、弟ふたりとは違い、時には手を挙げることもあったそうです。横山さんは家庭内での居場所を見つけるのに苦労したそうですが、弟たちにとっては頼れる兄であり、家族を支えるために自分の役割を果たそうと努力しました。この時期の経験が、後の彼の人間性や家族への思いを深める基盤となったのです。
中学時代(複数のバイトを掛け持ち、ジャニーズ入所)
複数のバイトを掛け持ちながらバスケで才能発揮
中学時代の横山裕さんは、バスケットボール部に所属しながら家庭の事情で複数のアルバイトを掛け持ちしていました。運動神経は抜群で、大阪選抜にも選ばれるほどの実力者でしたが、同時に『生活のため』、『生きるため』に必死で働く日々でもありました。
この二面性こそが、横山さんの強さと人間的魅力の原点となっています。
中学3年時のジャニーズ事務所入所のきっかけ
中学3年生のある日、同級生がジャニーズJr.としてテレビ出演する姿を母親が目にしました。
と感じた母親が、横山さんの履歴書を勝手に送付。
書類審査は通ったものの、面接では一度落とされかけるアクシデントがありました。しかし帰りのトイレで偶然ジャニー喜多川さんと出会い、運命を変える一言をかけられたそうです。
と声をかけられ、そのまま合格が決定。1996年12月24日、クリスマスイブに入所し、『花の96年組』の一員として芸能活動をスタートしました。
中学卒業以降(建設現場とジャニーズを掛け持ち、弟を養う)
建設会社勤務の傍らジャニーズとして活動
中学卒業後は定時制高校に進学しつつ、建設会社に就職。朝は現場で働き、夜はジャニーズJr.としてレッスンや舞台出演をこなす日々が続きました。現場ではニッカポッカ姿で汗を流し、夜はステージでライトを浴びる—この二重生活の過酷さは想像を絶します。それでも「家族を支える」という強い思いで、横山さんは全力で活動を続けました。
母の死後、弟をひとりで養った
横山裕さんの母がガンを発症し、入退院を繰り返す生活となってしまいました。その当時は弟ふたりもまだ小さく、両親の離婚も重なった影響で生活は困窮を極め、ふたりの弟は児童養護施設へと預けられました。
と、当時を横山裕さんは振り返ります。
アイドルの夢というよりは生きるために必死で努力をし、母の死後は弟ふたりと大阪で生活し、生活費や学費も全て横山さんが工面したそうです。
2002年に関ジャニ∞結成
その後、関西ジャニーズJr.の中心メンバーとして活躍。2002年には関ジャニ∞(現 SUPER EIGHT)として正式に結成され、音楽番組やバラエティ番組に多数出演することで全国的な人気を獲得しました。苦労を重ねた少年時代の経験が、グループ活動の土台となっています。
SUPER EIGHTとして大活躍の現在
SUPER EIGHTとしての活動
関ジャニ∞から名前を新たにSUPER EIGHTとなった今も、横山裕さんはグループの屋台骨を支える存在です。音楽活動はもちろん、バラエティ番組や俳優業でも高い評価を得ています。特にバラエティ番組では、彼の天然なキャラクターと鋭いツッコミが視聴者に愛されています。
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メンバーのひとりである大倉忠義さんの父親が形成する鳥貴族での打ち上げの様子からもメンバーの仲の良さが伺えます。
ソロプロジェクト「ROCK TO YOU」
さらに最近ではソロプロジェクト「ROCK TO YOU」を始動。Instagramでもその様子が公開されており、ファンから注目を集めています。ソロ活動では、これまでのグループ活動では見られなかった一面を披露し、新たなファン層を獲得しています。
24時間テレビでの105キロ完走
2025年8月31日放送の「24時間テレビ」では、105キロのマラソンに挑戦し、見事完走。
かつて一家を背負った10代の頃と同じように強い責任感を胸に挑み続ける姿に、多くの人が胸を打たれました。
まとめ
横山裕さんの人生は、決して平坦なものではありませんでした。幼い頃に両親が離婚し、母と弟たちを支えるために少年時代から働き、建設会社とジャニーズを両立させるなど、壮絶な経験を経て今があります。それでも彼は歩みを止めず、関ジャニ∞(SUPER EIGHT)として、またソロアーティストとして、新たなステージに挑戦し続けています。2025年の24時間テレビでの105キロマラソン完走は、そんな横山さんの「決して諦めない生き様」を象徴する出来事でした。
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