2025年9月7日、石破茂首相が辞任を表明しました。
2024年10月に第102代首相として初めて就任し、その後、衆議院選挙を経て第103代として再任。
二度にわたる在任期間を合計すると343日となります。
つまり、約11か月──
一年持たなかった政権
として記録されることになりました。

首相官邸ホームページより
では、この343日という数字は、戦後の日本政治史の中で見たとき、どのような意味を持つのでしょうか。
歴代の短命政権と比べてみると、意外な共通号があったのです。
石破政権の在任期間まとめ
まずは石破茂首相の在任期間を整理してみましょう。
第102代内閣(2024年10月1日〜2024年11月11日)42日
就任早々の衆院選で敗北し、退陣。戦後でも極めて短い「わずか42日」の政権となりました。
第103代内閣(2024年11月11日〜2025年9月7日):301日
再び指名を受け、第二次石破内閣が発足し、約10か月間にわたり政権を運営してきました。
しかし党内の支持低下や政策の行き詰まりにより、1年を待たず辞任を表明。
通算首相在任期間は343日。
これが石破政権の通算在任日数です。
衆議院、参議院共に与党過半数割れという厳しい結果に直面し、更にはアメリカとの関税交渉や国民への2万円給付案等でも国民の不信感を招き、石破政権を短くしたのかもしれません。
一年間の節目を迎える前に終わったことで、国民には「短命政権」という印象が強く残ることになりました。
歴代の短命政権を振り返る
ここで、戦後の「短命政権」をいくつか振り返ってみましょう。石破政権がどの位置づけにあるのかがより鮮明になります。
東久邇宮稔彦王内閣(54日)
1945年8月17日から同年10月9日まで、わずか54日。

画像はwikipediaより
終戦直後の混乱の中で成立しましたが、戦争責任問題や占領政策への対応が難航し、極めて短期間で退陣しました。
戦後日本初の「短命政権」とされています。
宇野宗佑内閣(69日)

画像は首相官邸ホームページより
1989年6月3日から8月10日までの69日。
リクルート事件で揺れる中、参院選で自民党が歴史的な大敗を喫し、さらに宇野首相自身のスキャンダルも重なり、辞任を余儀なくされました。
現代日本政治における典型的な短命政権の一つです。
羽田孜内閣(64日)

画像は首相官邸ホームページより
1994年4月28日から6月30日までの64日。非自民連立の一角として発足しましたが、与党内の分裂により衆議院で過半数を失い、わずか2か月で退陣しました。党派間の不一致による短命の象徴です。
石破茂 第102〜103代内閣(合計343日)
政権運営は約11か月続きましたが、党内基盤の弱さが解消されず、重要法案の成立にも苦労。
最終的には令和7年9月7日に自ら辞任を決断しました。
短命政権に共通するものは何か
短命に終わった政権には、いくつかの共通点が見られます。
選挙での敗北
宇野宗佑、石破茂(第102代)のケースは典型的で、政権発足直後の選挙で敗れたことが直接の退陣理由となりました。
党内基盤の脆弱さ
羽田孜内閣や石破茂(第103代)は、与党内での足並みが揃わず、十分な安定多数を得られなかった点が共通しています。
スキャンダルや外部要因
宇野内閣ではリクルート事件や首相自身の女性スキャンダルが退陣の要因となりました。東久邇宮内閣では、占領軍の方針転換など外的要因が大きく作用しました。
つまり、
- 選挙
- 党内事情
- 外的要因
この三つの軸が、短命政権を生み出す主な背景だといえるでしょう。
石破政権の場合も、この三要素が複雑に絡み合った形でした。
石破政権343日の意味
石破政権は内閣発足後、通算でも1年に届かず343日で幕を閉じました。
これは「短命」と言わざるを得ませんが、単に日数の問題ではなく、次のような点で注目すべき意味を持っています。
受け入れられなかった2万円給付
在任中に打ち出された全国民への2万円給付案も大きな議論を呼びました。

MBS NEWSより
現金給付か消費税減税か、大きな議論を呼びました。
景気刺激を狙った政策でしたが、財源の不透明さや物価高への実効性の乏しさから、国民の理解を得られず支持率低下を招く結果となりました。
と、繰り返し述べていた石破首相でしたが、所得制限案や、給付金額の少なさ、結局数ヶ月経っても給付されていない現状から、国民の不信感をより一層強くしてしまった事は否めません。
「短命」の印象が歴史に残る
数字上は一年弱の政権ですが、一年持たなかったという事実はニュース性が高く、政治史に刻まれることになります。
安倍政権や岸田政権のような比較的長期政権が続いた後だっただけに、その落差が際立ちますし、短命政権としての印象をさらに強める一因になったといえるでしょう。
まとめ
石破茂首相の通算343日の在任期間は、日本政治史の中で「短命政権」として記録されることになりました。
歴代の短命政権と比べると、最短記録ではないものの「一年持たなかった」という区切りは強烈な印象を残します。
戦後の短命政権に共通する要因──選挙での敗北、党内基盤の弱さ、外的要因──はいずれも石破政権にも当てはまります。
短命政権は単なる「失敗」ではなく、むしろ日本政治の脆弱性や政党内の力学を映し出す鏡のような存在です。
石破政権343日の経験は、今後の日本政治にとっても貴重な教訓となるでしょう。
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